🌷 霊的世界は実在する 🌺 幸福への方法 🍋

大川隆法総裁先生 書籍・幸福への方法 参照です。

今年(1996年)は、幸福の科学は立宗十周年に当たります。
そもそも、幸福の科学が始まったのは、1981年三月に、私が霊的な覚醒を得てからのことです。

実際の活動は1986年から始まりました。1981年三月から数えると、すでに十五年ほど霊的世界との関り合いを持ってきたことになります。この間、「私には霊的な世界との交流なくして一日もなかった」と言ってもよいと思います。

世間の人びとから見ると、まことに不思議な話ではあるでしょうが、私が、目に見えぬ世界の存在というものを身近に感じ、霊的な存在、いわゆる霊人たちと、日常会話をするように話ができるようになって、すでに十五年になるわけです。

そうした体験を積み重ねてきた私から見ると、宗教を信じない人びと、あの世を信じない人びと、「霊などというものは、まやかしではないか」と考えている人びとというのは、「まことに気の毒な人びとである」と思えるのです。

真実は一つしかありません。霊的な世界が現実にあるのか、それともないか、このどちらかです。これ以外の結論はありえません。霊的世界があることを実証する報告は数多くあります。私だけではなく、大昔から数多くの人が体験し、報告しつづけてきたのです。

世界的な宗教家といわれる方は、霊的世界について何らかの発見をし、報告をしています。そして、私は、「それは、二千年前や三千年前だけにあったことではなく、現在ただいまにおいても、同じように真理である。二千年前や二千五百年前に起きたことは、現在ただいまにおいても起きる。それはずっと続いていることであり、永遠不変の真実なのだ」ということを訴えてきたのです。

この世とあの世を貫く幸福

では、幸福の科学が説いている「幸福」とは、どのようなものでしょうか。世の中のいわゆる幸福論が、この世の話ばかりをするのに対して、幸福の科学の幸福論は、この世的に幸福であるだけではなく、あの世的視点から見ても幸福である生き方を説いているのです。

それを、「この世とあの世を貫く幸福」と呼んでいます。つまり、みなさんに対して、この世で幸福感に満ちた生き方をしていただくことを願うだけではなく、死んであの世に還ってからも、幸福な生活が続くような生き方を提唱して、それを実践していただきたいと願っているのです。

もちろん、実際には、この世で不幸な生き方をして、あの世でも不幸な人がいます。この世で幸福そうに見える生き方をしても、死んでからは不幸な人もいます。この世で不幸そうな生き方をしても、死んでから幸福になる人もいます。この世で幸福であり、あの世でも幸福な人もいます。

簡単にいうに、この四通りがありえるわけです。このなかで、私がみなさんに勧めているのは、「この世でも幸福、あの世でも幸福」という、四通りのなかの最後のものです。結果的にはいちばんよいと思うものを推奨しています。もちろん、これ以外の考え方もあります。

この世に対して、まったく否定的な見解をとるならば、「この世でいかに悲惨な生き方をしても、あの世において幸福であればそれでいい」という考え方もあると思います。キリスト教徒には、この世では、悲惨なこと、悲しみの現実とぶつかり合って生きながら、あの世での幸福を目指す人が、かなり多くいます。

そもそも、教え主であるイエス自身が、この世では悲劇の人であったと考えてよいと思います。教え主が悲劇の人であったがゆえに、あとに続いた人たちも、悲劇を通しながら、あの世での栄光、あの世での幸福を求める生き方をしました。

しかし、私は、そうした生き方がいちばんよいとは、必ずしも思っていません。わずか数十年ではありますが、その地上生活のなかにも、私は一定の意味合いを認めています。人間は、まったく無意味なことをくり返すだけではありません。

「この世に生まれてくるには、生れてくるだけの理由がある。この世の数十年の人生のなかにも、それなりの役割や目的がある。人間は、何かを学ぶためにこの世に生まれてきて、そこで学んだものを持って、実在の世界、本来の世界に還る存在なのである」ーこれが根本的な考え方なのです。

したがって、私はこの世を完全に否定しているわけではありません。修行の場、教育の場、魂を磨く場として、この世は非常に大切な場であるということを認めています。「この世において、魂が数多く糧を得て、喜びを感ずることは、非常に幸福な生き方である。そして、その生き方が、あの世での幸福にもつながる」と言っているのです。

みなさんは、数十年の人生というと、長いように感じるでしょうが、日数に直してみると、平均して二万数千日です。十万日も二十万日も生きるように思うかもしれませんが、実は二万数千日にすぎないのです。

そして、砂時計の砂のように、毎日毎日が一日ずつ落ちていき、二万日から三万日たったときに、この世を去ることになるわけです。短いといえば、非常に短い人生です。この二万数千日のあいだに、この世において、どれだけのことを経験し、どれだけのことをつかみえるか。これが非常に大事です。

その貴重な経験を得るために、人間は人生を送っているわけです。そのために、この世に赤ん坊として生まれ、学校で学び、大人になると、職業に就き、結婚をして家庭を営みます。そして、病になったりしながら歳をとっていき、やがてこの世を去っていくのです。

わずか二万数千日ーこの間を、どれだけ理想的なものにしていき、あの世に還ったときに、魂の向上になっているような生き方をするか。これが非常に大事なことなのです。

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(私文:暇な時間が、自分の指針を失わせてしまうのではないでしょうか?)

仕事とか、睡眠、食事、読書、散歩、テレビを観る、お風呂に入るなどを毎日の生活のなかで、一日の24時間を使っていますが、たまに、ポッカリと空いてしまった時間、予定外の時間ができてしまうことがあります。どうしても安きに流れてしまいます。ここが勝負です。「ここからが勝負です」と教えてくれた方がいました。負けてしまったら必ず後悔することは分かっています。頑張っていかなければ!

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。