🍉現代における「武士道精神」とは🍉

大川隆法総裁先生 書籍・現代の武士道 参照です。

「一期一会の精神」は自分自身の生き方にもある

現代の仕事社会、あるいは、家庭も含めての人間の生き方、特に、日本人的な伝統を背負っての生き方を考えるとき、「武士道精神」として、やはり、幾つか心掛けてほしいと思う点があります。それについて簡潔に述べ、その後、質問等があれば受けようかと思っています。(本章第三章照)。

まず、「どのような武士道精神を持ってほしいか」ということですが、先ほど述べたように、人生は平均三万日ぐらいあるかもしれないけれども、「人は、今日、死ぬ可能性もあるのだ」ということがあります。交通事故もあれば、その他の自然災害もあれば、突如、何かで死ぬこともあります。

私も、映画【製作総指揮】・大川隆法総裁先生。2019年公開。ベストセラー作家である主人公が、医師による死の宣言から「復活」を遂げ、使命に生きる姿を描く。ストーリーは大川隆法総裁先生の実際の体験がもとになっている。『新復活』(幸福の科学出版刊)参照照。

「世界から希望が消えたなら。」が大ヒット上映中だったとき、うれしいことはうれしいものの、何だか、十五年前にタイムスリップしたようで、ときどき、「今日、明日にも死ぬかもしれない」といった気持ちになることがありました。みなさんのいろいろな念波を受けていたのだろうと思いますが、そんな気持ちになることもあったのです。

しかし、私が十五年前、病気と診断されたときに活動をやめていたら、その後の二千回以上のもの説法はありませんでした。当時は、まだ三百冊ほどしか本を出していなかったので、二千数百冊の本も出ていません。また、全国も回っていないですし、その後、海外も十数ヵ回りましたが、そこも回っていないので、今ほど海外信者もできていなかったでしょう。

現在つくっているような映画もつくれなかったですし、幸福の科学学園那須本校も関西校もできていないし、HSU(パッピー・サイエンス・ユニバーシティ)もできていないし、政党(幸福実現党)もできていません。それら全部が、「ない」状態だったはずです。

つまり、あのとき諦めずに、再度、戦うことを決意したことが、その後の十五年間の教団の歩みを決定的に決めたのです。そうしたことを思うと、「将来的には成功しよう」とか、いろいろな考え方もあろうかと思いますが、やはり、「一期一会の精神」は自分自身の生き方にもあるのだということです。

「今日が人生の最期かもしれない」と思って生きる

「今日一日、何ができるか」ということです。「一日一日が勝負で、一日一日が、人生の最後かもしれない。そう思ったときに、あなたはどう生きますか」ということ。この問いに答えながら生きることが大事です。「十年後は、どのよういなるでしょうか」とか、そんなことでは、やはり駄目です。

今日、ありがたくも、朝、目が覚めたなら、「今日一日で、もしかしたら、自分の人生が終わるかもしれない。そのなかで、何ができるか。何をなすべきか。何をしなければ、心残りであるか。思い残すことがあるとしたら、何であるか。この一手を打てるか」そうしたことを、自問自答することです。

私は、これは十分に、「現代的武士道」だと思っています。今日、夕べには、白骨になっているかもしれない身です。十五年前、大病をして、医者から「すでに死んでいてもおかしくない」と言われた私としては、いつ、そういうことが起きるか分からないわけです。

十五年前のそのときには、総合本部に出勤して、当時の理事長や総合本部長等と会談をして二時間ぐらいで帰ったのですが、その帰りの車中で異変が起きました。

「正心法語(幸福の科学の根本経典。仏陀意識から降ろされた言霊で綴られており、これを読誦することで天上界とつながり、霊的な光が出てくる。大川隆法総裁先生が経文を読誦しているCDも頒布されている)をかけてください」と言って、車を停めて『仏説・正心法語』のCDをかけ、その後、家に帰ってからも、『仏説・正心法語』のCDをかけて三十分ぐらい横たわっていました。

すると、だいぶ元に戻ってきたので、あとは普通の生活に戻り、翌日、念のために病院へ検査に行ったところ、そのような状態、すなわち、「昨日、死んでいたはずだ」と言われる状態であったのです。もっとも、私は、”普通の人ではなかった”ので統計学は当たりませんでした。

ただ、今も、このように説法をしていますが、いつも、「今日死んでもしかたがない」と思いながら話をしているのです。そういう意味での、「覚悟」「生きていく覚悟」というものがあります。「明日できればいい」とか、「来年できればいい」とか、「次の人がやるさ」とか、そうした、役所などにありがちな先延ばしをしたり、「自分が傷つかなければいい」という感じに考えたりする人もいるかもしれません。

しかし、判断を保留にしたり、先延ばしにしたりして、「自分のときに、減点や失敗がつかないようにして世を過ごす。定年まで生き延びる」ということばかりを考えるような人間にはなってほしくないのです。「あなたに明日がある保証はない」ということ、これは知ってほしいと思います。

「今日できることは何なのか。なけなしの力と、なけなしの時間のなかで、何か一手を打つことはできるかどうか。何か考えることはできるか」そうしたことを、常に問うていただきたいのです。毎日毎日、そういうつもりで、「一日一生」で生きていたら、やはり、ほかの人とは、かなり違ったものが出てくるだろうと思うのです。

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(私文:Towice born できたことを知った自分)
私は過去30年位、海外生活をしていました。寿司の板前として、普通に生きていたと思います。お酒をたくさん飲み、独身貴族を気取って、ギャンブルも沢山していました。ラスベガスには20回以上も行っています。そのまま行けば、結婚もせずにただの老人になってしまって、まだ日本に帰ってこれなかったに違いありません。自分の過去を振り返って思うことは、幸福の科学の仏法真理に出会っていなければ、大川隆法総裁先生に出会っていなければ、確実にどこか日本以外の国で、生きがいもなく生きていたと思います。中々、仏法真理を身につけることは難しいことです。生き方を変えることは難しいことです。時間をかけて少しづつ少しづつしか、変わることはできません。これからも力を出して頑張っていくつもりです。頑張ります。!!!

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。